こんにちは。甲斐です。
今回はいつもとは趣を変えて、「マインド的」なお話をしたいと思います。
ずばり、「自分の人生の最期をどのようにしたいか?」と言うお話です。
少し前ですが、僕の知人女性が亡くなりました。
僕は元々俳優をやっていたのですが、彼女とは俳優の専門学校で知り合い、デートもした事もあります。
彼女が余命宣告を受けていた事は知っていたのですが、自分が良く知っている、同じ年代の人が亡くなるのは、正直ショックが大きいです。
もっと色々とやりたい事があったはずなのに・・・。
「どんなに若くても明日死ぬかもしれない。だから今日を精一杯生きよう」
月並みな言葉ですが、同年代で自分に近しい人が亡くなると、この言葉が身に染みますね。
実際に40代とか50代になると、友達や知人の中で亡くなる方も少なくないと思うんです。
そこでふと頭の中に浮かんだのが「自分の人生の最期をどのようにしたいか?」と言うお話です。
1.生き方は「自分の最期をどうしたいか?」によって変わる
これは有名な書籍「7つの習慣」の中でも語られていますね。
自分の人生の最期を思い描き、それを念頭において今日という一日を始める。
具体的には、自分の葬儀の場面を思い浮かべるんですね。
・葬儀の会場はどこなのか?
・会場ではどのような音楽が流れているのか?
・参列者は誰なのか?
・参列者はどのような会話をしているのか?
・弔辞は誰が話すのか?
・弔辞では在りし日の自分についてどのように語られているのか?
これらを明確にイメージできれば、人生においてやるべき事、やらない事も明確にする事ができる、と言う内容です。
この「自分の人生の最期」、つまり「周りの人達に自分の事についてどのように思われたいか?」を考え、そこから逆算して10年、5年、1年、半年、1ヶ月単位等の目標を考えていくのです。
それを深く考えていくと、最終的には「あなたがもし明日亡くなるとしたら、あなたの大切な人に何を遺したいですか?」と言う質問にぶち当たるのです。
ご主人には?奥さんには?ご両親には?子どもには?兄弟には?
実はビジネスを行う究極の目的は、「自分の大切な人を思う事」なんですね。
最初の目的は自分自身の夢、例えば「稼ぎたい!でっかい存在になりたい!」とかでも全然構わないと思うんです。
ただ、そう言った目標って結局自分自身だけの夢であり、「独りよがりで自分勝手な夢」なんですね。
つまり、ビジネスを行う上で関わってくれる人達の事を何も思っていないと言うか。
自分らしい人生を生きる事は当然として、自分に関わってくれている、自分の大切な人に何を遺してどう生きて欲しいのか?
これがビジネスパーソンとして重要な事になってくるのです。
2.刹那的に生きても誰も幸せにする事ができない
「自分の最期をどうしたいか?」の価値観と正反対にあるのが「刹那的に生きる」と言う価値観です。
つまり、「将来を見据えず瞬間だけを充実させる」「一時的な快楽を求める」生き方です。
キレイな言い方にすれば「太く短く生きる」「破天荒」みたいな感じですね。
先程お話したとおり、僕は昔俳優を目指していた事もあり、この刹那的な生き方に憧れていました。昔の芸人(例えば横山やすしさん)的な生き方ですね。
ただこの生き方ってぱっと見カッコよく映るんですが、後先考えず感情的に突っ走ってしますので、精神的な安定性がなく、常に恐れと不安に押しつぶされそうになるんです。
「まぁ、何とかなるだろう」と開き直っても、結局何とかならなかったりするんです。人生の成功者のように見えて、実は自分自身では何も満たされていないと感じたり。
自分の好きな事で生きているようで実はそうではなく、その為、精神的な余裕がないんですね。
この「精神的にどうしようもない状態。満たされていない状態」から抜けだす為には、やはり原理原則である「自分の最期をどうしたいか?」を真剣に考える必要があるでしょう。
3.まとめ
もう一度、自分の最期の場面、つまり「自分の葬儀の場面」を思い浮かべてみましょう。
あなたは参列者に在りし日の自分の事について、どのように語られたいですか?
「生き方がダサくてどうしようもない最低なクズ野郎だった。」
と言われたいですか?それとも
「話しをするだけで楽しい気分になる人だった。」
と言われたいですか?それとも別の内容ですか?
あなたの本心は、どこにありますか?